ホーム > いえのわ物語

いえのわ物語

僕が木の家をつくる理由
いえのわ代表・高橋芳人

はじまりはちいさな製材所

いえのわは、亡き祖父が昭和23年に松島にて創業した「高橋製材所」がはじまりです。昭和46年に「株式会社高橋木材家具店」として法人化しました。そして平成27年、僕・高橋芳人が3代目に就任して「タカハシ木材style株式会社」に改名。木材販売・家づくり・木材家具販売の3つを柱に事業を営んでいます。ここ松島でおよそ60年。支えてくださった地域のみなさまに感謝しています。

幼いころは木材倉庫が僕の世界の中心でした。家具や建具職人さん、サッシ屋さん、木材製材の職人さんの子どもたちと一緒に日が暮れるまで遊んだものです。鬼ごっこ、缶蹴り、かくれんぼ、秘密基地……なかでも原木置き場(丸太置き場)は恰好の遊び場でした。

記憶のなかの父は、きびしい顔つきで製材機を操っています。黙々と製材しては、トラックに積み込んで建築現場へ配達する。そんな父からは、いつも木の香りが漂っていました。

家づくりへの道

製材所の長男として育った僕は、いずれ自分もその仕事をするものだとぼんやり思っていました。でも、野球づけの中学時代を過ごしていたため、いざ高校進学を前にしたとき、これから何を学べばいいのかわからずにいました。とりあえず「インテリア系の学校に入りたい」と父に伝えたところ、「お前は建築科のある工業高校に入りなさい」といわれました。無言の気迫のようなものを感じ、いわれるままに工業高校の建築科に入学しました。

工業高校を卒業後、仙台市内に本社のあるゼネコンに就職し、店舗やオフィスといった鉄骨造やコンクリート造の建物を中心に現場監督として働きました。その間、二級建築士、ニ級建築施工管理技士の資格を取ることもできました。極めて機能的でコスト優先の世界。そこに身を置いていると、なぜか子どものころに慣れ親しんだ木の香りが思い出され、やがて「建築の仕事を続けるならば、自分が心からいいと思える家づくりがしたい」と考えるようになりました。

ちょうど景気が落ち込みはじめた時期でしたから、父からは「まだ会社にお世話になっていなさい」といわれましたが、「どうしても家業を継ぎたい」と説得しました。僕自身が父となったいまは、当時の父親の気持ちがよくわかります(笑)。

もう一度、いちから勉強

決意を固めたからといって、すぐに仕事があるわけではありません。ましてや家は一生に一度の買いものですから、経験の少ない僕に任せられないのは当然です。

そこで、まずは住宅系の建築設計事務所に2年ほど勤め、基本から学び直しました。在籍中に宅地建物取引士の資格を取得、さらに一級建築士を目指して勉強することに。高校時代は甲子園を目指して野球に熱中し、勉強はあまり好きではなかった僕ですが、このときばかりは必死でした。甲斐あって、一級建築士と一級建築施工管理技士を取得。「やっとスタートラインに立てた」と感じました。

土地探しから、設計、建築まで

平成11年、ついに一級建築士事務所として新たなスタートを切りました。しかし、当時は現在ほど住宅の検査はきびしくなく、施工の質も低く、欠陥住宅が社会的な問題となっていました。現場監督あがりの僕は、その現実に憤りを感じました。

設計から完成まで自分の目でしっかりと見届けたい。そんな思いを強くし、設計管理と現場監理の両方を行うことを方針に据えました。平成12年には建設業登録し、さらに不動産業としても業者登録。土地の相談から、住まいの設計、建築までを一貫して取り扱えるようになりました。

いまこそ木の家を

数年後「シックハウス」が社会的な問題となり、世間を騒がせました。幸いなことにお客さまにシックハウスの症状はありませんでしたが、ビニールクロスや合板フローリングはときどき使用していたため、ショッキングでした。正直なところ、それまでアレルギーやアトピー、喘息などはあまり気にしていませんでした。みんなが普通に使っているものがお客さまやそのお子さまに好ましくない影響を与えてしまう可能性があるなんて、考えもしませんでした。

そのころ、とあるお客さまから木材家具部門のほうに「子どもがアトピーなので、無垢の板で家具をつくってほしい」という注文が入りました。製材所ですから、未加工の木材は山のようにあります。できあがった無垢材のオリジナル家具を、お客さまは大変喜んでくれました。「そうか、無垢材で家具や住まいをつくれば、アトピーやアレルギーに悩むお客さまの役に立てるんだ!」と気づきました。

このことをきっかけに、僕の家づくりに対する考えが大きく変化しました。本物の自然素材を使い、空気のきれいな家を、心が癒される家を、健康で家族が明るく幸せに暮らせる家を、無用な病にかかる必要のない家をつくっていこう! そんな思いを強くしました。

東日本大震災で学んだこと

自然素材の家づくりに邁進しはじめたわけですが、自然というものはときに残酷でもあります。決して忘れることのできない、平成23年3月11日。津波は、木材倉庫脇の河口を大きな音を立ててのぼっていきました。僕たちは高台に避難して難を逃れましたが、あの震災は本当に多くを奪っていきました。

僕たちが手掛けた家はというと、津波で被災してしまった家はありましたが、地震での大きな被害はありませんでした。利益よりも木材や施工の質を優先させておいて本当によかった……心からそう思いました。

その後は、復旧のための依頼が相次ぎ、ほとんど記憶がないくらいの忙しさでした。しかし、きちんと設計し、しっかり施工した建物は、被害も少なく修理にかかる費用も時間も少ないことを確信する日々でもありました。

胸を張れる家づくり

家づくりに携わるようになってから試行錯誤の20数年、家族をもち、東日本大震災という大きなできごとを経て、やっとよい住まいがどんなものかがわかってきたような気がしています。

いえのわは、ちいさなファミリー企業です。夢がふくらむようなモデルハウスや豪華なパンフレットはありません。大々的なキャンペーンや値引きもやっていません。同じ品質の住まいなのに、キャンペーンのときに建てた人とそうでない人に価格差があるのはおかしいなと思うからです。

僕たちの自慢は、お客さまが本当に喜んでくれていて、家づくりを終えてからも親戚や友人のようなおつき合いをさせていただいていること。モデルハウスはなくとも、そんな方々のお宅へご案内し、家づくりの先輩として、よかったこと、わるかったこと、ああすればよかったなどの生の声を聞かせていただくことができます。

健やかで、丈夫で、正当価格で提供される自然素材の家。それは、僕自身が住みたい、家族を住まわせたいと思える家です。お客さまの住まいも自分の住まいと同じに考えています。家は、完成がゴールではありません。そこからはじまる幸せなくらしのために、一生懸命に家づくりをしています。